仇討ち物語
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「お疲れだったね、タテイチ」
労いの言葉に重い瞼を上げれば、視界に入ったのは俺の雇い主。
「…うわぁ!」
思わず悲鳴に似た驚きの声が俺の喉から迸った。寝転んでいた事務所のソファから跳ね起きれば、額を思いっきり指弾される。
「いて…ッ」
鈍い痛みを訴えてくる額を押さえながら抗議するように睨み上げるも、俺如きに怯む相手ではない。
「まるで幽霊でも見たかのような奇声を上げて。失礼にも程があるよ」
そう言って穏やかに笑った俺の上司ことガロウさんは、満足したのかいつもの定位置である窓際の机に腰を下ろした。
「リュウイも。無理を言ってしまったね。でも、君なら引き受けてくれると思っていたよ」
ガロウさんの視線を追えば、俺とは反対側のソファに腰掛けているリュウイさんの、この世の破滅でも引き起こさんばかりの不機嫌絶頂の双眸と真正面から目を合わせる事になってしまった。
うお!固まる!固まるよ!
あ…それはメデューサか。
「勝手な事を…」
忌々しげに呟くリュウイさん。射殺すようなこの人の鋭すぎる眼光も、ガロウさん相手だと意味を成さないんだな、これが。
だって、あの人。リュウイさんの視線を真っ向から受け止めながら、薄ら笑いを浮かべてるんだもん。
あぁ…恐ろしい。恐ろし過ぎる。
どっちがだって?…訊かなくても分かるだろ。両方に決まってんじゃんよぅ。
「――ガロウ。今回の依頼の報酬は、いつもより多く貰うからな」
睨み合いを終了させれば、リュウイさんはそう吐き捨てて出口へと向かう。そのまま扉の向こうへと消えてしまった。
助かったぁ…。俺を挟んでの睨み合い――正直、生きた心地がしなかった。
胸に手を当てて深く安堵の溜め息をつくと、背後から忍び笑いが聞こえた。
「…ガロウさん」
振り返って恨めし気に呼び掛ければ、ごめんを連呼して笑いを収めるガロウさん。それでも、口の端に残る微笑を見逃さない。
子供のする様に頬を膨らませて横を向く俺。再び響いた笑みに眉間の皺を深くするも、不意に髪を撫でられた驚きに怒りなど何処かに吹き飛んでしまった。
「ガロウさん?」
撫でるといっても背後を通る際に申し訳程度に触れていっただけだ。窓際の机から入り口付近に置かれた本棚の前に移動した雇い主の行動の真意を測りかねて、俺は首を傾げる。
しかし、相手から言葉が返ってくることはなかった。
適当に棚から出した(少なくとも俺にはそう見える)本のページを捲っているガロウさんの背中をしばらくの間見つめていたが、いい機会だと思って口を開いた。
「ガロウさん。どうしてリュウイさんは仇討ち屋になったんですか?」
ずっと不思議に思っていた事。
え?何故本人に訊かないかだって?…今更そんな基本的な質問するんですか。
面と向かって訊いたところで絶対に答えてくれないだろうし、返ってくるのが沈黙ならまだマシだ。下手したら、銃弾の返答をもらうかも。
命を代償にしてまで好奇心に執着してません。
「―――リュウイが十歳の時」
ページの捲る音は途絶えることはなく、ガロウさんは淡々と言葉を続ける。
「父親を交通事故で亡くした。轢き逃げで、今もまだその犯人は捕まっていない」
お父さんを?それは初耳だ。
リュウイさんが十歳の時だったって事は、例え今犯人がわかっても時効で罪には問えない。
そうか。リュウイさんが仇討ち屋になったのって、お父さんの無念を晴らす為だったのか。健気な話じゃないですか。うぅ…何だが、涙が…。
「―――なんて答えを、タテイチは欲しかったの?」
…はい?
パタン!と音を立てて本を閉じたガロウさんは、元あった場所に戻して多分絶対間抜けな顔をしているだろう俺を振り返った。
「一つ」
人差し指をピっと立てるガロウさん。
「劇的な人生など、存在しない」
「しないんですか?」
素っ頓狂な声で俺は問う。
よくワイドショーなんかで苦難を乗り越えてなんだかんだな事をやってるけど、あれは劇的な人生ではないのだろうか。
俺にはポーカーフェイスなんて器用な真似はできない。例えそんな芸当ができたとしても、ガロウさん相手じゃ意味なし。意味なし。
俺のポカンとした(もし今ここにリュウイさんがいたら馬鹿面と鼻で笑ったに違いない)様子から言いたい事を読み取ったらしいガロウさんは、中指で眼鏡を押し上げた。
「正確には、この世界に生きている人間個人個人の人生が劇的なんだ。それはつまり、劇的な人生は存在しないと同義語」
意味がわかるかと、ガロウさんは小首を傾げる。
「――…皆が特別だから、皆の『特別』はないって事ですか?」
しばらくの思考の後に導き出した答えに、ガロウさんは満足そうに眼鏡の奥の瞳を細めた。
「そういう事。だからね、タテイチ」
硬い靴音が一歩一歩近付いてくる。俺の前で立ち止まると、ガロウさんは腰を屈めて視線を同じにした。
「理由になど拘る価値はないよ。大切なのは、『今』だからね」
俺の額を指弾し、悪戯っぽく煌めく眼鏡の奥の瞳。体を起こしたガロウさんは、そのまま踵を返して先程リュウイさんが出ていった出口へと向かう。
「じゃ、タテイチ。労働の報酬って訳でもないけど、ご飯でも食べに行こうか。丁度夕食の時間だしね」
痛みに呻いていた俺は、その一言でぱっと顔を上げた。
「俺、焼肉食べたいです!」
慌てて立ち上がって部屋の出口まで駆け寄った俺に、扉を支えて待っていてくれたガロウさんは穏やかな笑みを浮かべた。
「ふふ。じゃあ、葉亭に行こうか」
「葉亭!?」
一人前が千円をゆうに越すセレブ店。
やった――!!さすがガロウさん。太っ腹ぁ!!
「好きなだけ食べていいからね」
「はいっ!」
笑顔満点。
ガロウさんが部屋のスイッチを押し、明かりを失った薄暗い部屋の扉を閉める。
「ガロウさん!早く!」
かけ終えた鍵を上着のポケットに仕舞いながらゆっくりと歩きだしたガロウさんを急かせば、呆れた様な笑みを浮かべながらも小走りに駆け出してくれた。
終劇
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