天の啼く狭間で


 静かな声音が、真実を告げる。
 びくりと燈牙は肩を震わせた。真っ直ぐに見据えてくる深緑の双眸が怖い。逃げるように視線を外し、燈牙は掠れる声で呟いた。
「…俺じゃない。俺が殺したんじゃない…ッ」
 その時の光景が脳裏に蘇る。
 視線を赤く染めた鮮血。それは、大切な人が流した命の欠片。抱き起こした体は暖かかった。でも、もうその瞳は開かない。声を聴くことは叶わない。
 彼女は、死んでしまった。
 病に蝕まれていた永遠。己の無力に泣いた自分を慰めてくれた彼女。心配ないよと、大丈夫だと笑った永遠。――全ては、運命の悪戯が見せた夢。
 頭を抱え、燈牙はその場にうずくまる。ナダは何も言わない。その場を支配する沈黙が、まるで自分を責め立てているかのようだ。
「俺はただ…、永遠を愛していただけだ」
 愛している――。貴女にそう伝えた。心からの言葉。彼女となら、生きていけると思った。例え、全てを捨てることになっても。それでもいいと。
「でも、彼女は俺を裏切ったツ」
 返された想いは残酷なものだった。送られたダリアの花。だから俺は、彼女を捨てた。

「――選んだのは貴方だ」

 ナダが初めて口を開く。発せられたのは、残酷な言葉。
 顔を上げた燈牙に、彼の容赦のない言葉が浴びせられる。
「未来を選んだのも燈牙さん。彼女を信じ切れなかったのも燈牙さん。他の誰でもない」
 反論しようと口を開きかけ、しかし何の言葉も出てこなかった。わかっている。ただ、認めたくなかっただけだ。
 燈牙は目を覆った。
「許されない恋だとは解っていた。俺には幼い頃に両親に決められた許婚がいる。永遠を苦しめるだけだと、解ってはいたけれど…」
 胸の高鳴りを。溢れ出した想いを、抑える事が出来なかった。何を犠牲にしてもいい。貴女と、生きていく事が出来るなら。
「でも、結局貴方は永遠さんではなく美鈴さんを選んだ」
 ナダは事実をただ淡々と告げる。
 ああ、そうだ。俺は、永遠ではなく美鈴を選んだ。あの夜、急に先の事に不安を覚えて待ち合わせの場所に行かなかった。彼女を選ぶ事が本当に正しいのか、わからなくなった。
 永遠は、どんな気持ちで自分を待っていたのだろう。初めて逢ったあの桜の木の下で。来ない相手を、何時いつまでも何時までも。
 彼女は、自分を最後まで信じてくれたのだろうか。
 燈牙は立ち上がった。距離を隔てて椅子に座るナダを虚ろな瞳で見つめる。
「・・・お前は、俺を裁く為にそこにいるのか?・・・どちらが正しかったんだ・・・ッ」
 ナダは何処までも静かだった。右手に持っていたペンダントを机に置き、一度瞬く。深緑の瞳が、不規則に揺れた。
「――僕はただ、永遠さんから貴方への言伝を預かってきただけです」
「言伝・・・?」
 こくりとナダは頷く。
「゛貴方を愛していた"、と」
 燈牙は目を瞠った。自分の耳が信じられなかった。彼は今、何と言った?
「゛貴方に逢えた事。貴方を愛することが出来た事。後悔などしていない"」
 全ては私が選んだ事なのだから。でも、私はもう貴方の傍にはいられない。貴方の過去の足枷にはなりたくない。
「゛貴方には幸せになって欲しい。だから――"」
 ナダが言葉を紡ぐ。死者の最後の想いを。

「゛私のことは、忘れてください"」

 少年が椅子から立ち上がる。こちらにゆっくりと歩いてくる。燈牙は反応出来なかった。永遠の言葉が繰り返し耳に蘇る。もう遅すぎる、それは死者の想い。
 ナダが燈牙の前に立つ。彼を見上げて微笑したナダは、その額に指を当てる。
 淡い光が視界を覆い、燈牙の中にあった大切な何かが消えていく。手放したくなくて足掻いてみても、それは留まってくれなくて。
 燈牙の瞼がゆっくりと落ちる。

「――僕は、貴方を裁く立場にいない」

 意識が完全に闇に落ちる瞬間、燈牙はナダの言葉を聞いた。


ΨΨΨΨ



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