黄昏時の神風
4ページ/9ページ
独白に近い呟きに、彼は静かに首を横に振った。邪気を知らない澄んだ漆黒の瞳が、真剣な輝きを宿して凪紗を見据えてくる。
「そんなこと、ないよ。だって君は、翼が欲しいと言った。今でも、心は痛んでいると。それは、君が彼を必要としていた証拠だよ。未だにこの無限の空に彼の姿を捜して視線が彷徨うのは、彼のことが大好きだったからでしょう?」
「・・・・・・・・」
「ねぇ。君の目には、この空は青色に映ってる?君の世界に、ちゃんと色はあるのかな?」
穏やかに問われて、凪紗は空を仰ぎ見た。
視覚は確かに空の色を青と認識しているのに、それでも凪紗にとってそれは灰色だった。拓也のいない世界に、色など存在しない。
「僕は、君達がどんな関係を築いてきたのかは知らない。でも、一つだけ確かな事は、今の君が、彼の死を受け入れてないという事。どんなに心は痛んでも、どんなに頭では理解していようとも、君自身が受け入れていないんだ。だから、泣けない。だから、世界に色が無い」
違う?と問われて、否定出来ない自分がいた。
泣けないことが辛くて。
痛む心に素直になれない自分が悲しくて。
視界の隅に彼の姿を捜している自分が虚しくて。
それでも何処かで、泣けない理由を知っている自分がいた。
「でも、でも…。例えそうだとしても、そんな簡単に受け入れられることなんて出来ない!だって、拓也は突然逝ってしまった。突然私の前からいなくなってしまった。明日私の誕生日だから、学校が終わったら遊びに行こうって約束して…。そのまま彼は迎えに来なかった!」
果たされることの無かった約束。彼の手から直接渡されることのなかった誕生日プレゼント。二年目を迎えられなかった遠い夏の日。
「彼が生きていた痕跡は沢山ある。やりかけのゲーム。写し途中のノート。お気に入りの鞄。私があげた腕時計だって…。それなのに、拓也だけがいないの。彼の笑い声だけが聞こえないのよ!」
あの人は、もういない。何処を捜しても、あの輝くような笑顔を向けてはくれないのだ。存在していた証だけを残して、彼は逝ってしまった。
視界が滲んだ。あっと思う間もなく大粒の涙が零れ落ちる。泣き顔を見られまいと、凪紗は手で顔を覆ってそっぽを向いた。
「―やっと、泣けたね。それが、本心。ずっと誰にも言えなくて、押し隠してきたそれが本音」
あらぬ方向を向いた凪紗の頭を、彼は優しく撫でた。
「ずっと、辛かったんだよね。誰にも思いをぶつけることが出来なくて、独りで胸の中に抱え込んで。でも、人は感情のある生き物だから、見て見ぬ振りをする事は出来ないんだよ。押し隠せても、それは忘却であって消去じゃない。消えない想いは、いつか君地自身に還ってくる。溢れ出した想いは、止められない」
鼓膜を打つ彼の声は暖かかった。声音も口調も違うのに、その中に恋人の声を聴いた気がした。
「周りをよく見てごらん。君のその想いを受け止めてくれる人は、きっと沢山いるよ。ただちょっと、今の君は視界が狭くなっているだけなんだ。ちゃんと現実と向き合って、周りを見回してみると、自分はこんなにも愛されてたんだってわかるから。大切にされてたんだって気付くから」
含みのある言葉に、凪紗は初めて彼を正面から見つめた。哀しみに彩られた漆黒の双眸の奥に、別の感情が潜んでいるように思われた。
そういえば、どうして彼は、こんなにも哀しい瞳をしているのだろう。まるで凪紗の姿に自分自身を重ね見ているような――。
【次へ】/【前へ】