第一章〜戒めをその身に刻む者の名は〜【起】

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 曰く。
 行方不明なのだという。昨日の夕方から、帰ってきていないらしい。
 思い返してみれば、確かに昨日の夕飯の席にその姿はなかった。朝食に現れないのは日常茶飯事の事なので気にも留めていなかったが、昼食を過ぎても誰もその姿を見ていない。そして、既に陽は暮れかけている。
 相手は神出鬼没。ふらりと出かけていって、いつの間にか帰ってきていたりした事はあった。
 しかし、連絡も入れずに日を越す事は今まで有り得なかった。どんなに遅くても、日付が変わる前には部屋に戻っていたのだ。
 故に、何かあったのではないかと、こうして自分達が召集されたという訳だ。
「…巫山戯ている」
 師範の話を聞きながら、しょうは誰にも聞こえないよう小声で毒づいた。
 どうして、あいつの為に自分達が動かなければならないのだ。しかも、夕方は稽古の時間帯だ。貴重な鍛錬時間を費やしてまであいつを捜してやる義理はない。
 勝手に出て行って、勝手に戻ってこないのだ。放っておけばいいものを。
 そう思うが、しかしこれは上からの命令だ。拒否権は自分にはない。
「“神座の森”に入っていく姿を見たという話を聞いている。それ故に、捜索は主に森の中を中心に行う」
 淡々と、第一鍛錬場統括師範である南華なんかは説明を続ける。
「正道と言っても、“神座の森”に入るのだ。心して行け」
「はい!」
 素直に返事をするも、この場に集まった者達のその心中は宵と大して変わらないだろう。一人だけ例外はいるが、六人中五人は捜し人の事を快く思っていない。
「どっかで死んでんじゃないか?」
 南華の後に続いて母屋へと繋がる渡り廊下を歩きながら、小声でそんな言葉が紡がれる。
「有り得るな。寧ろ、その方が都合がいい」
「放っておけばいいものを。師範も、当主も…とことん甘いお人方だ」
 同意する声が次々と上がる中で、言葉にせずとも宵も首肯を返す。
 本当に、迷惑ばかり掛ける奴だ。気に入らない。
 舌打ちをした衝動を堪え、捜索隊が渡り廊下を渡り終えて母屋へと入った時だった。玄関の開く音が静寂の満ちる廊下に響く。程なくして、まさにこれから捜しに行こうとしていた人物が姿を現した。
じん!」
 廊下に上がり、そのまま母屋の最奥にある部屋へと向かおうとしたその背に、玻綾はりんが声を掛けた。
 足を止めた彼女が振り返る。襟首までの銀髪が揺れ、碧の双眸がこちらを射抜いてきた。
「仁。何処に行っていたの?心配していたのよ」
 師範である南華を追い越し、玻綾は仁へと駆け寄る。碧の双眸が自分に近付いてくる相手を追って動かされ、それでもその口から言葉が紡がれることはなかった。
「仁?」
 怪訝そうに玻綾が小首を傾げるも、やはり反応はなく。碧の双眸が外されれば、踵を返して無言のまま歩き出してしまう。
「待てよッ!」
 その態度に、宵は完全に頭に血が上った。
「何か、言うことがあるんじゃないのか?」
 呼び止めに足を止めるも、振り返らなかった相手の背に言葉をぶつける。
「俺達は、昨日から帰ってこなかったお前を捜しに行く為に自分の時間を犠牲にしたんだ。迷惑をかけたんだから、謝るぐらいしたっていいだろ」
 棘のある言い方に、玻綾が顔を顰めるも宵は気にしない。この気持ちは、皆が抱いているものだ。散々迷惑を掛けておいて、何も言わずに部屋に戻るだと?巫山戯るのもいい加減にしろ。
「…嬢ちゃん」
 今まで黙っていた南華が、静かにその背に呼びかける。それに反応して顔半分を向けるも、やはり相手は無言で歩いていってしまった。
「何だよ、あの態度!」
 階段の向こうへと消えていった相手に、宵は毒づく。自分の後ろについてきていた門下生達も、言葉や行動で己の中にある不満を顕わにしていた。
「師範」
 南華の所まで戻ってきた玻綾が、眉間に皴を寄せて南華に呼びかける。
「仁、顔色が悪くなかったですか?」
 玻綾の指摘に、南華は難しい顔をする。
「確かに…そう言われればそんな気もしないでもないが…」
 元々色白の仁だ。距離があり、尚且つ相手はあまりそういった負の感情は顔に出さないので、断定は出来なかった。
「あたし、ちょっと様子を見てきます」
 南華の返答を待たずに、玻綾は仁の後を追って階段を上がっていってしまった。
 その背中を見送る事無く、南華は宵達へと向き直る。
「すまなかった。稽古に戻ってくれていい」
 不平不満丸出しの表情をしている弟子五人に困ったように内心で溜め息をつきながらも、表面上は飽く迄も淡々とした口調で指示を出した。
 しぶしぶといった風情で来た道を戻っていく宵達を見送り、南華は背後の階段を振り返った。
「…俺が行ったところで、話してくれるわけもないだろうな」
 彼女は我が強い。こうと決めたら、絶対に口を割らない。一番いい方法は、相手から自然に話されるのを待つ事だ。
 盛大な溜め息をついた南華は、困った様子で頭を掻いてから、結局玻綾に後を任せて自分も第一鍛錬場へと足を向けた。

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