第一章〜戒めをその身に刻む者の名は〜【承】
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妖討伐要請が下ってから既に三十分は経とうしているだろうか。南華を先頭に各々剣を腰に佩いた『高見』家の門下生達は、極度の緊張状態の中周囲に細心の注意を払いながら“神座の森”の中を進んでいた。
妖という隣人と共存する都には、常に彼等の脅威が降りかかる。人に仇名す妖から都を守るのが、退魔師育成機関の一つである『高見』家の役目だった。
がさり!と葉擦れの音がし、六人分の足が止まる。瞬時に背中合わせの円陣を作り、紫水晶と紺色の瞳が周囲を注意深く窺う。何処から攻撃されても対応出来るように剣の柄に手を遣りながら沈黙する事、数分。
結局、妖の襲撃はなかった。誰からともなく安堵の溜め息が洩れ、肩から力を抜く。
「…駄目ですね。些細な音にさえ、こうして反応してしまいます」
差し迫る危険はないと承知しながら柄から手を放そうとしない玻綾の言葉に、師範である南華は苦い笑みを浮かべて同意した。
「仕方がない。ここは人の世界ではないのだからな。慎重であるに越した事はない」
“神座の森”――それは、人ならざるものが息づく場所。
都が人間の世界ならば、“神座の森”は妖の世界だ。この森に満ちる清冽にして苛烈な気配は決して人の侵入を是とせず、深淵の闇には凶暴な妖達が潜んでいる。樹齢何千年という木々が聳え立ち、一度でも正道と呼ばれる人間の道から外れれば二度と出てはこれない魔の森だ。
しかも、“神座の森”の中は冬が早い。まだ都ではちらつく程度の雪は、既に森を銀世界へと誘っていた。降り積もった雪に覆われて視界から消えた木の根などに足を取られ、時間は過ぎてもそれ程距離は稼いでいなかった。
「しかし…。いつ来ても、不気味な所ですね、ここは」
雪を積んだ葉が重なり合う天を見上げながら、宵は呟く。
周囲に散らばる闇の中から、ずっとこちらを窺う気配がある。それは決して敵意のあるものではなく、滅多に訪れない人間を警戒しているような視線だ。
殺意はない。それ故に、警鐘は鳴らない。けれど、常に意識の片隅を刺激する。それが、彼等には鬱陶しい。六人が六人とも剣の柄に手を添えたままなのはこの為だ。危険はないと理性は言いながら、本能が警戒を解かない。
何回訪れても慣れる事はない。この森が孕む、高潔と邪気の相反する気配には。
「あれ?師範、こんな場所ありましたっけ?」
先頭を歩いていた玻綾の訝しげな声を耳に入れ、南華達は足を速める。そして、目の前に広がる光景に息を呑んだ。
鬱蒼とした道を抜けた先には、丸く円を描くようにして木々が切り取られた空間があった。丸く覗く空は厚い雲で覆われ、今にでも天気が崩れそうだ。
「いや…記憶に無いが…」
眉間に皴を寄せ、南華は慎重に森の中に突如として開いた空間に足を踏み入れた。
確かに、自分達は正道を真っ直ぐに歩いてきたはずだ。頭の中に入っている地図には、こんな場所は記されていない。地図に照らし合わせれば自分達はまだ“神座の森”の入り口付近にいるはずで、これから遥か彼方まで道は続いていたはずなのだ。
「一体、ここは…」
未知の迷宮である“神座の森”の中だ。もしかしたら、道が変わってしまったという事も有り得るのかも知れないが、しかし少なくとも正道に限ってはそんな事は今まで一度として起こらなかった。
誰からとも無く剣を抜き、いつでも戦闘に入れるように準備しながら空間の中央へと歩いていく。そして、先頭を歩いていた玻綾の足が、丁度円の中心を踏み締めた、その時。
「―――――ッ!?」
目を焼く程の目映い光が六人を包み込んだ。咄嗟に腕を翳して目を庇うも、鮮やか過ぎる光は瞼を通して神経を焼いてくる。
『――捕らえた』
『人間だ。人間が、我等の領域を穢したぞ』
不意に、耳に届いた言葉に。
背筋に悪寒が走った。本能が、警鐘を鳴らす。目映い光が消え失せたのを確認し、彼等が瞳を開けたその先で見たのは。
「妖!?」
いつの間にか、彼等は多数の妖に囲まれていた。四足のものから人間のように二足の妖もいる。大きさも大小様々で、幾対もの瞳孔が暗い輝きを宿して六人を見据えていた。
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