未だ名もなき

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 彼を待つ間、リシャールはこの村にある教会へと足を運んだ。小さいながらも立派なステンドグラスと、中央の祭壇に鎮座し、その紅玉の瞳で地上の人間達を見守る女神ヴェーラの像は、ひとえにビアンキ家の功績の賜物だろう。農耕で生計を立てるメハレ村をここまで財のある村にしたのは、ビアンキ家の奇抜なアイディアと優秀な交渉能力のお陰なのだ。
「あぁ、ヴェーラ様!」
 感極まった様子で女神ヴェーラ像を見上げるリシャールの瞳には、先程拭ったばかりの涙がまた溢れ出していた。
「未熟な私を勇者にお選びくださり、有難うございます!このリシャール、命に代えましても、必ずや魔王を倒して見せましょう!」
 両手を広げ、高々と誓いを立てるリシャール。
 そんな彼に、ステンドガラスから漏れ出す光に照らし出されているヴェーラ像が微笑みかけているようにリシャールには感じられた。
 いや、きっと微笑みかけて下さっているに違いない。慈悲深い彼の神は、必ずや自分達の行く道に希望の光を燈して下さるだろう。
「しかし…少し、不安になってきました」
 きらきらと輝かせていた顔に影を落とし、リシャールは思慮深げに眉を寄せる。
 父に連れられて、幼い頃からよく他の町や村へと出かけた事はあった。しかし、それはすべて馬車での移動だった。歩き慣れていない自分が、果たして山や森を越える事が出来るだろうか。まして、従者を引き連れない旅など、リシャールには想像もつかない。
「これも、ヴェーラ様が私にお与えになった試練と、受け取ってもよろしいですか?」
 何せ、世界を救う勇者に選ばれたのだ。いわば、全世界の民の命が自分達の肩に圧し掛かっていると言っても過言ではない。そんな重責を担う者への、これが神からの試練なのだと。
「ヴェーラ様!必ずや、貴女様のご期待に…ッ!」
 先程の弱気は何処へやら。ぐっと拳を握り締めて、改めて力説してみせるリシャール。
 そんな彼の背後で、少々乱暴に扉が開かれた。


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