勇者は旅立つ

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「な…何故だ…」
 大地が橙色に染められる束の間の時間、イシュトラの町はこの日一日の最後の賑わいを見せる。夕飯の買い物に訪れる者。買い物客相手に威勢の良い掛け声を飛ばす商売者。駆け回る子供達の笑い声。
 少々慌ただしい喧騒に包まれた町の片隅に、そんな町の時間の流れとは完全に剥離した様子のアーロンの姿があった。
「何故なんだ…」
 その唇から、先程と同じ問いが洩れる。しかし、要領を得ないその問いに律儀に応える暇と余裕を併せ持った者は、生憎この場所には一人としていなかった。
 松葉杖をついて歩くのに少々疲れ、アーロンは民家の壁に右肩を預ける。その際不注意で右手をぶつけてしまい、傷に響いて情けない悲鳴を上げた。
「こんな…こんなはずではなかったんだ…ッ」
 左手に松葉杖、右手は三角巾。仕舞いに、頭には包帯ぐるぐる――そんな満身創痍の己の姿を、アーロンは頑として認めようとはしない。
「本当なら、とっくの昔にザイの本性を暴いて俺が本物の勇者である事を世間に知らしめているはずなんだ!」
 力説するあまり無意識のうちに右手をぐっと握り締め、一瞬後に襲った激痛に顔を伏せて呻き声。もしもその光景を見る者があったのならば嘲りの言葉一つでも飛んだのであろうが、幸いにも夕方のこの忙しい時間に見ず知らずの他人に構っている程暇を持て余している者はいなかった。
 もっとも、この極めて自意識過剰の点を指摘されなかったという事が、果たして彼にとって本当に幸せかどうかという議論はまた別の話になってくるのであるが。
「ザイの奴ぅううぅうう〜…ッ」
 痛みから解放されたアーロンの唇から、怨嗟の篭もった声が洩れる。
 そう。自分が勇者に選ばれなかったのも。
 こんな怪我を負わなければならなかったのも。
 全ては、あいつがいけないのだ。

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